「平穏死」のすすめ(石飛幸三)を読みました。
介護職員初任者研修を受講していたとき、看取りに取り組む特養で働いている講師の方からおすすめの本としてお借りしました。著者である石飛幸三さんは長年続けた血管外科医を引退して、世田谷にある特養・芦花ホームの常勤配置医として働き始めましたが、胃ろうをはじめ延命ありきの医療・介護の在り方によって、死への準備がはじまっている体に不自然な負荷と苦痛を与えてしまうことに根深い問題を感じます。彼は職員と利用者の家族の心に寄り添いながら、関係者の本当の願いと怖れに向き合う対話を重ねていく。そして医師としての経験と具体的な看取りのケースを挙げながら、終末期のケアのあり方を問いかけています。
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「医療技術は日進月歩で発展していますが、しょせんまだまだ不完全な技術です。このような不完全技術を駆使して、神ならぬ人間が未知の領域において、人間の運命を左右しかねない作業に挑戦しているのです。 そこにある医者・患者間の関係は、与える側と受ける側という一方的な関係ではなく、不完全な技術であるという医療の本質を認識し、お互いの信頼と納得の上に、ともに患者の事態を解決する協力関係であるべきです。そのためには、社会的なシステムや制度も必要ですが、最も大切なのは個人の自覚ではないでしょうか。」
「私は思います。言うなれば医療と医学は違う。私は医学部の入学試験を、たまたま数学が一問余計に解けてパスできました。医学部の授業を聞いてこれは未熟な科学だと思いました。不遜にも治せる医師になりたいと思って外科医になりました。当時の先端医療であった血管外科の応用を目指しました。もっぱら科学的側面の追求に専念してきました。自分自身歳を重ね、ましてや特養で働いてみて、老衰の終末期において我々がしなければならない医療とは何かを見せつけられました。自分では先端医療に邁進していると思ってやってきましたが、我々が提供している医療はあくまで患者さんの人生にとっては対症療法でしかないのだということを改めて認識した次第です。樹を見て森を見なかったのです。医療は進歩すればするほど、死に臨む人間に対してそれがどう関わるべきか、難問に突き当たります。胃ろうの問題の本質もこの辺にあるのではないでしょうか。
老衰のために体の限界が来て、徐々に食が細くなって、ついに眠って静かに最後を迎えようとしているのを、どうして揺り起して、無理矢理食べなさいと口を開けさせることができましょうか。現場を知っている者からみると考えられないことです。もう寿命が来たのです。静かに眠らせてあげましょう。これが自然というものです。これが平穏死です。」
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石飛さんは大変覚悟ある方で、語る言葉は落ち着いていて力強いです。 購入して妻とも内容をシェアしましたし、今働いている老健でも勧めました。 人間の生死との向き合い方を問う一冊です。
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